なぜ書くか。/読みたいことを、書く。

なぜ書くか。/読みたいことを、書く。
Photo by Kelly Sikkema / Unsplash

始まりは言語化力をつけたい。というシンプルな動機でした。

話すのは嫌いじゃないけど、自分の考えがうまく伝わらないと感じることがある。それは言葉の選び方だけではなく、考えること自体が十分に整理されていないんだと分かっていました。

だから、”書く”ことで考えを形にする習慣を作りたかった。
でも、いざ書こうとすると、何を書けばいいか分からなかった。

アルゴリズムはどちらかといえば、何かの専門家を求めている。
一つのテーマに絞り、その道のプロとして発信する。
でも私はそれが嫌だった。書くことの幅を狭めたくなかった。
何かの専門家としても振る舞いたくなかった。
私は、私のままで書きたかった。

悩みが沼に嵌りかけた時、田中泰延さんの「読みたいことを、書けばいい。[1]」を読みました。読み終えて残った問いは、

「私の読みたいこととは、何だ?」でした。

AIがチェスを解析した日、ヒトは居なくなったか

少し、チェスの話を例に出してみます。
私はタクティクスと言われる、将棋でいう詰将棋のようなものが好きで、暇つぶしによくやります。対局もたまに観ます。

AIはチェスで人間を遥かに超えています[2]。
将棋も同じで、中継を観れば、リアルタイムで勝率が表示され、人間には見えない正解がそこにあることを突きつけられます。

Abema 将棋中継より

でも、人間が指すチェスや将棋の価値は消えていません。

人は最適解だけが見たいのではないからだと思います。
人間が悩み、選び、盤面をつくり上げるプロセス。
そこにある人間の”主体性”に価値を感じるからだと思います。

音楽も同じで、AIは完璧な演奏ができるでしょう。でも、ライブにはその場に生まれる何かがある、。人間が考えた軌跡であり、主体が人間であるという事実そのものが、私たちの心を動かすのだと思います。

私が読みたい記事も、きっとそこにある。
考えたプロセスが滲み出る記事。

noteを始めてみた。

noteは素晴らしいプラットフォームです。

発見される。読まれる。スキももらえる。
お互いをリスペクトし合い、クリエイター同士で高め合おうという意識も感じる。圧倒的なプラットフォームになるのも頷けます。

スキ自体は嬉しいですし、非常に良い機能だと思います。
ただ、それが常に目に入る位置に表示されている。そして、その数が記事を読む動機としても機能している。
ショッピングモールに出店している感覚でした。人通りが多いところに出店する感じ。

たかが数記事を書いただけですが、それでも軸がブレがちでした。
「読みたいことを、書く」が、「読まれたいために、書く」になっていました。

やってみて、私がやりたかったのは個人経営店なのだと気づきました。
私が助けられたのは、多くの場合、個人ブログです。
誰かが考えて書いた、光の当たりにくいブログ。

それが知りたかったことへの答えをくれることが何度もありました。
だからそういう場所にしたいと思いました。知りたい人が彷徨って、フラっと立ち寄ってみたら、助けられた。そんな場所。

noteは私には光が強すぎたんだと思います。

無光層

情報が絶え間なく流れる場からは切り離した場で書いてみたくなりました。

読まれたいけど、人が多いところは嫌だという、半ば矛盾を抱えていますし、気にしすぎだろうということもわかります。

ただ、光が当たらない層でゆるりと書く。それくらいのスタンスが書きやすくなるのかなと思いました。

それに、人に知られるまでは、遠い道のりだとはわかっています。
それでも書くことはやめません。多分。

私のプロセス、記事がいつかの誰かの助けになれば。


[1] 田中泰延『読みたいことを、書けばいい。』ダイヤモンド社(2019年)
https://amzn.asia/d/01NCroXI

[2] WIRED Japan「グーグルの最新AI『AlphaZero』は、3つのゲームで人間を超えた」(2017年)
https://wired.jp/2017/12/08/deepmind-alphazero/